第2回 介助者と一緒につくる自分らしい生活


第1回 子どもの時にほにゃらと出会う

第2回 介助者と一緒につくる自分らしい生活

第3回 ひとり暮らしを始めて変わったこと

Qどうして1人暮らしをしようと思ったのですか?

 

 

Sくん:「中学の頃から、将来、親が自分の介助をできなくなる時が来ると思っていました。でも、施設に入ると、施設の生活に合わせなくてはならず、自分の好きな時にやりたいことができなくなると思い、それがすごく嫌でした。大人になったら一人暮らしをして、親が元気なうちに、親の介助は必要のない状態になっていたいと思っていました。家族にもしものことがあったとしても、『自分は介助者と一緒に生活できるから、自分のことは心配しなくていいよ』と言えたら、親の負担も少なくなるのではと思っていました。親に何かあっても、自分の生活は維持できるようにしたかったです。

どうすればひとり暮らしをできるのか、ほにゃらで相談したり、小さい頃から介助者を使う経験ができてなかったら、ここまでこれなかったと思います。ほにゃらに出会えたことが大きいです。」

 

 

QSくんにとっては、ずっとお母さんの介助を受けるのは不安だったのですか?

 

 

Sくん:「一番心配していたのは、親の介助にいつまでも依存し、親の生活に変化があったときに、私自身の生活も変わってしまうことでした。

18歳でひとり暮らしを始めた当時は、ほにゃらの介助者も足りていなかったので、月曜から水曜はほにゃらの介助者から介助を受け、木曜から日曜は母に私の部屋まで来てもらい、母に介助をしてもらっていました。次第にほにゃらの介助者から介助を受ける時間を増やしてもらったり、介助者を派遣してくれる事業所を自分で探したりして、母から介助を受けなくても生活できるようになりました。

それと同じ時期に、母が体調を崩し、医者からなるべく介助はやらない方がいいと言われたり、祖母にも介護が必要となりました。いいタイミングで、母が私の介助をしなくてよくなり、本当に良かったです。私のことを心配しながら、母が生活するよりは、『私のことは心配しなくていいよ』と安心させてあげられた方が、私も気持ち的に楽なので。」

 

 

QSくんは中学生の頃から、将来は1人暮らしをしたいと思っていたそうですが、お母さんはどう思っていましたか?

 

 

お母さん:「ほにゃらで実際に1人暮らしをしている障害者を見ても、自分の子どもにもできるとは思えず、Sは将来、グループホームに入るのかなと思っていました。Sは軽度の知的障害もあり、小さい頃は知的障害について周囲からいろいろ言われていたので、知的障害に関して不安感が大きかったです。どこかで『知的障害のない人とは違う』と思っていました。

でも、ほにゃらにかかわる中で、知的障害のある人も1人暮らしをしているのを見ていましたし、時々、その人が食べかけのパンを持ってコンビニに入って、店員に手伝ってもらいながら牛乳を買っていく姿を街中で見て、Sもなんとかやっていけるのかもしれないと思いました。

Sが中学生の時に、ほにゃらの障害者から『どんな障害があっても、1人暮らしはできる』と言われたことと、直接グループホームの様子を見学に行き、Sが『グループホームは嫌だ』と言っていた理由が分かった気がして、私の中でも、将来、Sは1人暮らしするんだということが現実味を帯びてきました。」

 

 

Q「将来1人暮らしをしたい」とSくんが小学生の頃から思っていたことを、松岡さんも知っていましたか?

 

 

松岡さん:「珍しいとは思うんですが、Sくんは早い時期から高校卒業後に1人暮らしをすることをイメージしていて、中学卒業時など節目の時に、Sくんやお母さんから『将来について今はこう考えている』という話や、『グループホームを見学して、こう思った』など、将来について考えるプロセスを聞かせてもらうことが多くありました。一人暮らしをするまでのプロセスをひとつひとつ共有できたことで、Sくんが1人暮らしを始めるにあたり、介助者としての心の準備もできたと思います。」

 

 

Q介助者としての心の準備とは、どのようなものですか?

 

 

松岡さん:「ほにゃらキッズを通して、Sくんもほにゃらの介助者はどんな人なのかが分かって、安心して介助者から介助を受けられるようになったと思うのですが、介助者側もSくんがどんな人なのかを見ていて、お互いを知るための時間を大人になる前に持てたのは、Sくんの一人暮らしをサポートする上で、大きかったと思います。」

 

 

第3回へつづく